未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

和代さんのこと③

仕事を変わってからというもの、お義父さんの和代さんに対する態度が変化していきます。 お義父さんの姪たちと比べられ、手紙は勝手に開封され、バカだの役立たずだの罵られる毎日でした。


新しい仕事の上司が、顔色の悪い和代さんを心配して、誰にも聞こえない場所で話を聞いてくれました。 そして一言


「家、出たら? とりあえず住むところは見つけてあげるよ」


と言ってくれたのです。 でも・・・と躊躇する和代さん。


「いや、あなたは家族から離れるべき。 守ってくれない家族なんてこっちから捨ててしまえ!」


その一言がきっかけで、家出同然に飛び出して1年間帰らなかった和代さん。


初めての一人暮らしは慣れない事ばかりだったそうですが、心穏やかに暮らす事が出来たと言います。 1年経って少し余裕が出てきて、もう少し広いところに引っ越したいと思うようになった和代さんは、お母さんに電話を掛けました。


泣きながら「一度顔を見せて」というお母さんにほだされて、家に戻った和代さんに更なる苦労がのしかかってきます。


一旦、家に戻って10日後・・・、お母さんが突然の事故死。
お義父さんが喪主で葬儀を済ませたあと、なんとお義父さんが突然の失踪。


行政手続きやクレジットカードの解約などの手続きをはじめ、人が亡くなったあとの手続きは仕方なく和代さんがやっていましたが、間もなくお母さん名義が多額の借金があることが判明。


どうやら、お義父さんがお母さんの名義であちこちからお金を借りていたようでした。 途方に暮れる和代さんに手を差し伸べてくれたのは、かつて家を出るように助言してくれた上司で、弁護士事務所を紹介してもらい、そこで相続放棄の手続きを取る事が出来たと言います。


自分の手続きが終わったあと、和代さんは「私が相続放棄したら、次は誰が相続人になりますか?」と弁護士の先生に尋ねました。 そこで返ってきた答えを聞いて、和代さんは青ざめます。


年寄りに借金を背負わせるなんて!


慌てて、お祖母さんにも相続放棄の手続きを進めますが、当時和代さん家族が住んでいた家は、お母さん名義でお母さんとお祖母さんでローンを支払っていたものであったため、


「この家に住めなくなるなんて嫌」


と、お祖母さんは大反対。 事情を言葉を尽くして説明しても分かってもらえません。
再び途方に暮れる和代さん。

和代さんのこと②

和代さんは、もちろん彼のことは大好きだったと言います。 けれど、彼女の中では別な思いもありました。


「この人と一緒になれば、家を出ていける・・・!」


そう、彼女はとにかく自分の家から離れたかった。 話を聞いてくれないお母さん、過干渉で縛りのきついお義父さんのいる家がとにかく息苦しかった。 彼は和代さんの求めに応じて、和代さんの家族に正式に挨拶します。 
結納を交わしたわけではありませんが、指輪ももらい、一緒に旅行も出来て、このときが一番幸せだったと彼女は言います。


しかし、その幸せは長く続きませんでした。


彼は反社会勢力と関わり合いがあったらしく、和代さんもトラブルに巻き込まれ、家にもそのせいで迷惑をかけてしまうのです。 彼とは連絡が付かなくなり、事が事だけに誰にも相談出来ずにいました。


それでも何とか心機一転を図りたかった和代さん、5年以上続けた会社を辞める決心をします。 環境を変えて、イチから出直したい・・・そう思っていたのに、お母さんとお義父さんは会社を辞めることを大反対。 親の立場からすれば、安定した職業にいるのに何故そんなバカげたことを、という思いもあったことでしょう。 しかし「じゃあ、私はどうすればいいのよ」と泣く和代さんに対する返事は「我慢して会社に行けばそれだけで給料が入ってくるのに、何が不満なの?」とまるで答えになっていません。


その頃には、心がすっきりすり減ってしまっていた和代さん。 親に黙って会社に退職願を出してしまいました。 


その当時の家族は、和代さん・お母さん・お義父さん・和代さんのお母さんのお母さん。 お母さんとお義父さんは揃って出かけることも多く、お祖母さんを残して出かけるわけにいかず、家に閉じこもる時も多かったといいます。


「傍から見れば恵まれていたかも知れません。 でも、いつも縛られていました」


と、和代さんは言います。 


会社を辞めて、失業保険を貰いながら次を考えようとしていたけれど、家族の顔を見る時間が長くなるのも嫌で、和代さんは次の仕事を見つけます。

和代さんのこと①

まずは、和代さんに「人生で嫌だったこと」を吐き出してもらうことにしました。


最初の嫌だったことは10代のとき。 父親が多額の借金をしていたことが判明し、両親は離婚、進学を諦めないといけなくなったのだそう。 進学率の高い高校に通っていたため、クラスで数人は就職希望者がいたものの、途中からの進路変更はものすごく惨めな気分になってしまった、とか。


当時は景気が良かったため、また和代さんは進学するつもりで勉強していましたから成績もよく、就職先も地元の優良企業に決まりました。


偏差値の高い高校から、地元では誰でも名前を知ってる企業に就職が決まった娘のことを、お母さんはそれはそれは自慢に思っていました。 


和代さんも、そんなお母さんの期待に応えるべく、頑張って仕事を覚えていきました。 けれど、働いていると色々と起きるもので、職場での悩み事も出てくるようになり、お母さんにそのことを相談するのですが、どうしても話がかみ合いません。 


和代さんはただ聞いてほしいだけなのに、
「お母さんのときにはこうだったのよ! 辛抱しなさい」
と、話をさえぎられるのです。


そのうち、お母さんに再婚の話が持ち上がりました。 ひとりっこの和代さん、自分が結婚したらお母さんがひとりになってしまうことを心配して、お母さんの傍にいてくれる人が出来たと喜んでいたのですが・・・。


新しいお父さんはとても過干渉な人だったそうで、
「幸いに私を性的な目で見る人ではなかったのですが、仕事で残業していると『うちの娘はまだ仕事なんですか?』と職場に電話してくるし、趣味のサークルも『イイ年した大人がすることじゃない』と反対して、とにかく自分の価値観を押し付けてくる人でした」


それでも、お母さんが幸せならばと我慢していた和代さん。


そのうち、和代さんにも結婚を考える人が現れました。