未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

終活が必要なのは、終活世代の子供たちかも知れない話。


平均47.2歳で人は一番不幸だと感じている、という研究結果が出されたという記事をご紹介します。 日本では団塊ジュニア世代が丁度この年代ですよね。


一番人口の多い世代が一番不幸を感じているとしたら・・・、それは社会全体の損失に繋がるかも知れません。 そして不幸だと感じる理由は人それぞれで、そこには軽い重いの区別はありません。


体の衰えを感じるようになった人もいるでしょうし、周りと比べて出世していない自分に落ち込む人もいるでしょう、子育てがひと段落ついて自分の時間が出来た途端自分の人生に疑問を持つ人もいるかも知れません。


余りにも心がしんどい状態が続くならば、医療機関等で治療が必要になってくるケースもあるということですが、この時期は、より良い老年期を迎えるための成長の時期とも言われています。



リンク先の記事では、ミドルエイジクライシスの対処法として、自分の人生を客観的に見つめることや、持ち物を整理すること、生きがいを探求することを勧めています。 実はこれ、終活の現場でも言われていることなんです。 「終」という漢字の印象から、終活は高齢者のものというイメージがぬぐえませんけど、人が人生の終わりに何を後悔するかといえば、チャレンジしなかったことだと言われています。


死ぬときに後悔すること25 (新潮文庫)
死ぬときに後悔すること25 (新潮文庫)
新潮社
2013-09-28


チャレンジというと、何か大きなことのイメージがあるかも知れませんが、この本によると、後悔の第一位は愛する人に「ありがとう」を言わなかった事なのだそう。 次に「美味しいものを食べなかった事」「自分の生きた証を残さなかった事」「やりたいことをしなかったこと」と続きます。


つまり、こういったことにチャレンジしていけば、本当の人生の終わりのときに後悔することが少なくて済む、とも言えます。 


実はこのブログを書いている私も、ドンピシャ「ミドルエイジクライシス世代」です。自分の死は正直なところ、全く体感できずにいます(まだ死ぬような年じゃない、と思っているため。)。 しかし、「これからの人生どうやって生きていくのか?」と考えている、まさに悩み多き年頃です。 そんな私が、「ミドルエイジクライシス」という言葉を知って、その対処法を調べた際に「これって終活と同じこと!」と気づきました。


終活は決して、財産の相続・医療・介護・埋葬(お墓)に限った話ではありません。 むしろ、「これからの人生をもっと良くしていくために」何をしたらいいか考えて行動していくことだと思っています。 その為に、私は自分が発信して実施していく活動を「未来活動」と呼んでいます。 もちろん、そのために上に挙げた4つのことも準備しておけば、それに越したことはありません。

親子で考えた方が良い


以前、こんな記事を書いていました。 親と子、自分の立場だけで考えると「終活」は、中々難しい点があります。 そして、この記事では順番通りに寿命が尽きることを、暗に前提としていますが、逆の場合もあるのですね。 とても悲しいことですが、子供が先に逝ってしまうことも全くないとはいえないのです。


先月のことですが、地元新聞にこんな記事を見つけました。ニュースソースは民間の調査でしたが、6割近くの人が親と終活について話をしたことがないというものです。


「切り出しにくい」「話す時間・機会がない」というのが主な理由で、確かに・・・親世代が元気ならばそうかも知れないな、と思います。 



これは、10年近く前に公開された映画です。 40年勤め上げた会社を定年退職し、第二の人生これから! というときに「末期の胃がん」が見つかった父親が、自らの死の段取りと、エンディングノートを綴っていく様を、娘である監督が撮り続けたドキュメンタリー。 


映画の感想とは少し違いますが、この映画のお父さんのように、自分に残された時間がわずかだと知れば、人はもしかしたら自分や愛する家族のために何をしたら良いのか、真剣に考えるのかも知れません。 しかしそうじゃない場合、日々を健康に過ごせているときには考えなくて良いものでもありません。 


それまでの時間は健康に過ごせていたと思っていても、この「お父さん」のように、突然の病の宣告が下されたり、あるいは突然の事故や事件に巻き込まれたり・・・、考えたくはありませんが、「いつ・何が」起きるか分からないのが人生です。


とはいえ・・・。 イメージもしずらいですし、縁起でもないことかも知れません。


それならば、これからの人生をより充実させるために終活に取り組む、と、視点を変えてみてはいかがでしょうか? それはもちろん、子供世代が見送る親世代のための終活だけではなく、双方の立場から「良い関係性」を築いていくことに繋がると思いますし、最初のきっかけは難しいかも知れませんが、親子双方の安心と幸せのために小さな一歩から始めてみてはいかがでしょうか?

不安の根っこはどこ?

若い方にはイマイチピンと来ない話になりますが、和代さんの半生を聞いて感じたことのひとつが「自分が高齢となったときの不安」でした。


自分とお祖母さんの関係にあてはめて、「祖母には私がいるから良い」と言う和代さん。
それはつまり「私には誰もいない」ということ。 お母さんの突然の事故死から一連の家族のゴタゴタを片づけていくうち、彼女は「自分のことは後回しにするしかなかった」と言います。


そして、救いを求めて心理学やスピリチュアルのセミナーや学びにのめり込んでいったそうですが、「全部自分が選んだこと」という教えにはとても傷ついたといいます。 そこだけ切り取ってしまうと、コトの真偽が分からないので何とも言えないのですが、彼女の言いたい事は分からないではありません。 何故ならば、私は自死遺族で傷ついてアップアップしていたときに「そういう人生をあなたが選んだ」と言われたことがあるからです。


これね、私が経験として思う事なんですけど、「そういう出来事があった」と、客観視できるようになっていると、「全部自分で選んだこと」と言われても、「あははー、そうなんだー、私ってMなのねぇ。そんな苦しい人生選ばなくても良いのにね。」と笑い飛ばせますし、タフに乗り越えた自分のことが愛しくなってきたりするものですが、まだ自分の中で現在進行形の段階でソレ言われるとすごく辛いです。


「あんたに何が分かるのよーっ!キーッ!」


と言いたくなります。 マジで。 


ですからどうか、指導的な立ち位置にいる方には、「全部自分が選んだこと」という言葉を使う時、今一度、目の前にいるクライアントさんや生徒さんに「今」その言葉が必要か、「今」掛けるべきかどうか、考えて欲しいのです。



和代さんの話に戻しますが、「だから結婚も出来なかった、子供も諦めた」と言う彼女に言いました。


そのときは和代さんの選択が最善だったの。 そのときの和代さんにはね。
でも今でも結婚したいと思ってる? 子供欲しい? 
それはどうして?


すると・・・「今のままだと、誰も私のことを面倒みてくれない。この先不安。」という答えが返ってきました。


ちょっと(いや、かなり)疑問です。
段々と体の動きが鈍くなって、和代さんを頼る事の増えてきたお祖母さんを長い事見て来て、彼女が自分の今後を不安に思う気持ちは無理もありません。


しかし、前回の記事に書いた「不安」と同様、今回の不安もかなり境界が曖昧です。


どんなことが、彼女に「不安」と言わしめているのでしょうか。


・孤独
・金銭的なこと
・健康のこと


他にもあると思いますが「今後」をキーワードに考察すれば、この3つが大きな不安の軸でしょう。 


その不安を解消するには、現行の制度の中で言うなら、「地域包括支援センター」へまずは相談してみることです。 
行政のサービスでは不十分(または受ける事が出来ない)な場合でも、ボランティアが受け皿となって、高齢者の福祉に関する活動を行っている地域もあります。 地域包括支援センターは高齢者をサポートするための総合窓口なので、そういった情報も集約されています。 実際に利用できるのは65歳以上の高齢者やその家族となっていますので、それより若い方の窓口はどこなのか、調べておきます。


とはいえ、そういった情報を集めるためには、やっぱり「自分がどんなことを不安に思っているのか」「どうなれば安心できるのか」という2つの視点で、不安に思っていることを言語化していく必要があります。


じゃないと、「わからないところがわからない」「何を質問したらいいのか分からない」のですから。