未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

思い込みを書き換える

和代さんの物語を聞いて、最初に思った事はこれでした。


「ひとつひとつのモノゴトの境界線が曖昧すぎる」


家族のこととなると、対外的な人間関係のように割り切るというのは中々難しいもの。 例えば、対お祖母さんのことだけでも、お母さんが亡くなって以降特に関係が緊密化されていて、「ソレ」「コレ」と、問題を切り離して考えることが難しくなっているようです。 


とはいえ、今現在の和代さんを悩ませている、お祖母さんに関する事はこのように分けることが出来ました。


  • お祖母さんを家に連れて帰るため、正月1日~3日は全く自分の予定を立てられない
  • 定期的に施設に顔を出すのは私だけ
  • 未だに、お祖母さんの口から10年以上前の出来事に対する(お婿さんに対する)恨み言を聞かされる
  • お祖母さんが段々と年を取ってくるので、この先自分がどこまで面倒を見る事ができるか不安


IT用語でひとまとまりの情報の塊をチャンクといいます。 そこから派生して、NLPでは対象などの「まとまり」のことをそう呼びます。 そしてこの、まとまりの大きさのことをチャンクサイズと呼び、チャンクサイズは大きくも小さくも出来ます。


悩みの元となってしまったチャンクが大きすぎると、人は自力で解決することが難しくなりますが、より具体的にチャンクサイズをダウンさせていけば、逆に解決の糸口を自分で見つけることが容易となっていくのです。


和代さんの場合、「お祖母さんのこと全て【辛い】」と感じてしまっていたようですが、そもそも「辛い」と感じるようになってしまった出来事も、ひとつだけではないはずですし、本当に全部が辛いのでしょうか? 中には全てが辛く感じてしまう家族関係もうるかも知れませんが、和代さんのケースでは違っていました。


高齢のお祖母さんにもっと長生きしてもらいたい、ずっと元気でいて欲しい


という思いも、彼女の中にはあるのです。 ですから、まずは「辛い」と思っていることのチャンクサイズをダウンさせていきます。


例えば、「正月は自分の予定が立てられない」というもの。 どういうことで予定が立てられないのか? 時系列で彼女の話を聞いてみると・・・


  • 1日にはお祖母さんを迎えに行くので、31日までに正月の準備をひとりでしなければいけない
  • お祖母さんが寝る布団にシーツをかけたり、寝間着を用意したりする
  • 1日に迎えに行く際、荷物が沢山あるのが辛い
  • 家のことを色々指図される
  • 2日には親戚が顔を見せに来てくれるが、その準備や片づけもひとりでしなければいけない
  • 送っていくときにも、荷物が沢山で辛い
  • 4日以降にも、残った正月料理をひとりで片づけなければいけないときがある


というものでした。


(親戚を迎えるための)正月の準備や、お祖母さんの送迎を全て和代さんはひとりでこなしているそうですが、どうも彼女の中で「私ひとりでしなければいけない」という思い込みがあるようです。 誰にも「手伝って」ということをせず、「私ばっかり!」になってしまっていたようなので、


「ひとりでは大変だから手伝って欲しい、と叔母さんには言えませんか?」


と、尋ねてみました。 聞けば、叔母さんのところでは不幸があったり、叔父さんの病気が見つかったり、という出来事があり、「遠慮していた」という和代さん。


お祖母さんのことを思えば、100歳近い年齢を考えると、ひとりで出来なくなることも今後増えていくでしょうし、この先何が起きるか分かりません。 逆に、和代さんに万一のことが起きないとは限りません。 そう考えると、肝心な部分は和代さんが受け持たなくてはいけないとしても、叔母さんにも知ってもらって分担してもらうことで、この先のことがスムーズになるはずです。 


何か起きてから「助けて!」というより、普段から連絡を取り合って助けてもらう癖をつけておくことが、和代さんには必要でしょう。


「ご足労かけて申し訳ないけど、お祖母ちゃんを送っていくのに一緒に来てもらえませんか?」
「変な話かも知れないけれど、お正月の買い出しも、荷物が増えちゃってひとりじゃ大変だから手伝ってもらえませんか? 叔母ちゃんと一緒なら、どれくらい買ったら良いかとかその場で相談できるし。」


という一言を言えるかどうか、それが和代さんの未来を大きく変えるきっかけとなるはずです。


また、どうしても1日~3日にお祖母さんを連れて帰る必要があるのでしょうか? 和代さんは自営業とのことですので、年末年始のスケジュールを自分で組み立てることも可能なはずです。 例えば、2020年は1月3日が金曜でしたから、和代さんも実質の仕事開始は6日からだった、と言います。 ここまで話していくと、「4日・5日で1泊旅行すれば良かったですね! 休みは自分で決めて良いんだわ、私。」と自分で気づかれました。


元々和代さんの家では「正月は家族でいるもの」というルールがあって、子どもの頃は何の疑いも持たなかったそうですが、社会人になって友人たちとスキーや温泉などのレジャーを楽しみたいと思っていても、いつもお母さんから反対されていたとのこと。 そのくせ、お母さんはお義父さんの親せきと過ごすべく、2日以降はいつもいなかった、と。
「だから何で私だけ遊びに行ってはいけないの?」と疑問に思っていたけれど、いつの間にか諦めてしまっていた、とのこと。


子供の頃から自分の意見を言わない、おとなしい子供だったという和代さん。 大人になってからもそれは変わらず、「自分が我慢して波風が立たなければ」というのが無意識のクセになっていたようです。 
それが積もり積もって「私だって! 何で私ばっかり!」という大きなチャンクとなり、今の和代さんを蝕んでいました。


「私ばっかり!」「もう疲れた!」という大きな不満のチャンクを、今回は「お祖母さんのこと」というサイズダウンしたチャンクにして、そこから更に「お正月の過ごし方」とチャンクダウンしていきました。 自分で取扱いが出来る大きさまでチャンクダウンしていくと、答えはおのずから見つかります。 今回でいうなら「休みを自分で決めて良い」と、和代さんの口から出た言葉がそれです。


また、この先お祖母さんに何かあったとき、叔母さんとしっかり連携出来ているか否かで、自分や周りの大変さの度合いを考えてもらった結果、「叔母とももっと頻繁に連絡取り合います」と仰いました。


超高齢者社会を迎えて思うことは、高齢者本人と同様に、否それ以上に、高齢者を支える家族の心身の健康を守る必要があるということです。 


未来活動の活動を具体化させていくには、このあたりに力を入れていかなきゃなー。

和代さんのこと⑤

持ち分を相続することになる人たちへ、和代さんは頭を下げてお願いに行きました。


そして、晴れて家はお祖母さんのものとなりました。 それは和代さんがお祖母さんの傍で生活を支えていくということを意味します。 


結婚したい人がいるなら、この家を出て構わない


お祖母さんはそう言ってくれたそうですが、自分が引き起こしたことではないとはいえ、こんなに揉め事の多い娘を迎えてくれるところなんてあるわけないでしょう? と言葉に出来ない、声に出せない反論をする和代さん。


年齢的に子供を産むことも難しくなり、色々なことを30代後半で諦めた、と言います。


お祖母さんも段々と高齢になり、家で生活することが難しくなった今は施設に居ると言います。 


「傍から見たら、気楽な独身ものでしょう。 けれど、家のゴタゴタで私は自分のことは諦めざるを得なかった。 それはあなたが選んだことだという人には、『じゃあ、もっとベストな選択肢があったというんですか?』と言いたい。 祖母は私がいるから良いです。 でも私は? 寝込んでしまって、祖母の施設に行く日曜日に起きれなかったら? 祖母に心配は掛けられないです。 でも私だっていつでも元気なわけじゃないんです。お正月は祖母が帰って来るので、私はどこにも行けません。 でもそのことが不満なわけではないんですけど、ただ、祖母の求めで親戚たちが集まってくると、その準備は全て私ひとりでしなきゃいけません。 疲れます。 祖母も100歳近いですから、あと何回お正月を迎えられるか分かりません。 祖母の願いを叶えたいと思う反面、『じゃあ、私の願いは誰が叶えてくれるの?』って思うんです。 祖母には私がいるけれど、私が年を取った時には誰もいません。 私が結婚しないで、子供も持たなかったからと言われればそれまでです。 でも、結婚できる状況じゃなかったことも分かって欲しい」


20代の頃から今までの話を一通り話し終えた後、誰にも言えなかった思いがあふれ出したのか、堰を切ったかのように話す和代さん。


20年に渡る色々の出来事が絡み合って、本当はひとつひとつ片づけていけばそこまで苦しくならずに済んだかも知れない事が、区切りをつけるのが難しかったばかりに、和代さんを苦しめる、重く苦しい塊となっていることが分かります。


ただ、一般的な終活も可視化出来る事とそうじゃない事があります。 可視化出来る事は割と取り組みやすいのかなと、これまでの経験で感じていますが、 「思い」「気持ち」がメインのことは、白黒はっきりつけるのはそう簡単にはいかない気がします。


さて、彼女は「これから」に向けて、「これまで」のことをどう片づけていくでしょうか?

和代さんのこと④

和代さんは、お母さんの妹にあたる叔母さんに事情を説明することにしました。 


お祖母ちゃんに、いくらあるか分からない借金を背負わせるわけにはいかないので、相続放棄をさせようと思う。 今後のことはどうしたら良いか弁護士さんに相談するので、叔母ちゃんから『一度、弁護士の先生のところに一緒に行こう』って説得して欲しい。


叔母さんにそう言い、叔母さん夫妻とお祖母さん、和代さんの4人で弁護士事務所に行く事に。


配偶者の相続分を除き、今回のケースではお祖母さんが相続放棄をすると、次はお母さんのきょうだいたちに相続権が移ります。 よって、この叔母さんにも相続権が発生するため、


「私が借金背負うの!?」


と嫌がられたそうですが、きょうだいの相続分は全員で4分の1しかなく、お母さんのきょうだいは全部で5人いるから、金額的には和代さんやお祖母さんより遥かに少なく済み、また、お祖母さんからすると子ども達に相続権がいくことになるから、現時点では、お祖母さんを守るためには、その方法がベストと思われる、と弁護士さんから説明を聞いて、叔母さんも納得されたそうです。


(配偶者が行方不明のため)宙ぶらりんの状態ではありますが、お祖母さんが住むための家を守ることが出来て一安心。・・・に見えますが、和代さんは完全に家から出る事が出来なくなりました。


お付き合いをしていた男性はいたそうですが、いざ結婚を考えるとなると、相手の男性やその親に対して自分の家庭の事情が全てバレてしまうし、そもそもキチンと説明出来る自信がない。 仮に説明出来たとしても、「それでも良い」と言ってもらえるはずなんかない、と諦めてしまったのだそう。


それからずっと大黒柱の役目を負いながらきたという和代さん。


お祖母さんは認知症はなく、とてもしっかりした方だそうですが、しっかりしているが故に自分の価値観を通す方なのだそう。 孫である和代さんのことは頼りにしつつも、最終的な決定権は自分が握って離さない人だ、と和代さんは言います。


それから時は過ぎ、お母さんの七回忌の年に、お義父さんが亡くなったという知らせが届きました。 前回相続放棄のときにお世話になった弁護士さんの元を再び尋ねる和代さん。


家のことをこのタイミングで整理出来ないか期待したとのことで、お義父さんが亡くなった時点での相続人を教えてもらいに行ったそうです。 お母さんが亡くなって3年後、きょうだいのひとりが亡くなっていたため、その人の相続権がお祖母さんに移ることになり、お祖母さんも相続人となりました。


ただ、家をお祖母さん名義にするには、お義父さんの相続権が移った人たちから、持ち分を譲ってもらう必要がありました。