未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

好きなことで生きていくということ。

私に「気づく」ということを教えて下さった陶芸家の先生の話で、もうひとつ思い出したことがあります。 陶芸家の先生の話は下記リンク先で。



傍から見てる分には勝手なことが言えるわけですけど、芸術家という人たちは、我々一般人から見れば「好きな事でご飯食べている人たち」とも見えてしまうものです。


ところがどっこい。


10個作って1個モノになるかどうか、という世界と知って衝撃的でした。 


更に若い頃は技術も拙いので失敗率も高く、また作品に付く値段も知れている、だから食べていくためには、仕事の傍らアルバイトをしていかなきゃいけない。 そうしていくうちに、どっちが仕事か分からなくなってしまい、辛い状況に陥ってしまう


という、若手芸人さんの苦労話のような話も聞いて、思いました。


陶芸の世界に限らず、「自分がどれだけの熱量を注げるか」「どんなことがあってもやり続ける覚悟はあるか」ということなんですよね。 それと「寝食忘れてソレに没頭するほどハマれるか」ということ。  ソレを成し遂げるため、一流と呼ばれるようになるまで情熱を持ち続けられるかどうか。 


繰り返しになりますが、10個作って1個モノになるかどうかの話は本当に衝撃的で、もちろん続けていくうちに技術が上がってきて、モノになる割合も高くなっていくでしょうけれど、そうなるまでには(そうなっても)本当に地味な積み重ねであることは、門外漢の私にも分かります。


 好きな事で生きていくためには、その裏側で同じくらいの見えない努力があってこそ、なんですよね。 その努力を苦労と思わない程没頭できるかどうか。


それを思って、ハタと自分を振り返ったとき、「大好きな○○に関しては誰にも譲れない」というものがある生き方を自分は忘れていたなー...。と気づきました。 


「ぼおっと生きてんじゃねーよ!」って叱られそうです(汗)。



ちなみに、好きな事で生きていくための考え方やすべきことについては、こちらの記事が大変興味をそそられました。

自分の人生を見つめながら生きるということ

新型コロナウイルスの影響で、私の本業も若干のダメージ(モノがない)を食らっております。


マスクとか衛生用品、季節アイテムが軒並み在庫切れの状態ではありますが、定番のアイテムはご提供できる商品も多数ございます。 年度末・年度初の記念品のご用命をお待ちしております。



さて、昨日、ある陶芸家の方のお話を聞く機会がありました。


キーワードは「気づく」ということ。 普段の生活で何気なく通り過ぎてしまうことでも、「自分はこれが好き」という意識を持つことが人生の豊かさに繋がる...全編通してそういったお話でした。 


面白かったのが、人が「これはいいなぁ」「好きだなあ」と感じるモノは、時代の変化と共に移り変わりはするものの、その時代に「好ましい」ものは多くの人が同じ反応を示す、ということ。


アイドルに例えると...アイドルと言われて私がピンと来るのは、松田聖子さんと中森明菜さんで、当時は「聖子ちゃん派」「明菜ちゃん派」と人気を二分していたものですが、言い方を変えれば、当時アイドルに夢中だった人たちは、どちらかが好きだったと記憶しています。 少し遅れて南野陽子さんとか、小泉今日子さん、柏原 芳恵さん、河合 奈保子さんなどなど、当時は本当にキラキラの女性アイドルが多い時代ではありましたが、「聖子ちゃん」「明菜ちゃん」は揺るぎないツートップでした。


芸術のことは全くの門外漢で不勉強(汗)なので、例えがズレているかも知れないと冷や汗をかきつつ、それでも吉永小百合さんはいつの時代も美しいと誰もが思うように、多くの人が「いいなぁ」と感じるものの魅力は不変なんでしょうね、きっと。


それからもうひとつ。 人に話すのも気が引けるような壮大な夢を持つ一方、小さく目標設定をしない、と仰っていたのが印象的でした。 とはいえ、小さな目標目がけて進まないというだけで、「日々目の前にある仕事に一生懸命取り組む」ことを繰り返されていましたので、ゴール設定とルートを物凄く明確にしてらっしゃるに違いありません。


先日、ミドルエイジクライシスについてブログ記事にしました。 



40代も後半に近づくと、若い頃と違って「自分の人生の残り時間」を体感することが増えますし、その一方では「自分は何かなしえただろうか」と言う焦燥感に似た思いに駆られてしまうことも増えてくるかも知れません(もちろん、そうではなく充実した生活を送っている人も多数いると思います)。 


そこにはどうしても、成功者と映る他者の姿があるわけですが、残りの人生をその他者と比べながらもがき苦しむのか、「自分」として生きていくのか、この世代だからこそ今一度立ち止まって考える必要があるでしょう。


ちなみに、私、数日前から「自分が『心地よい』と感じるのはどんなとき?」と考えて、本当に小さい目標ですが、「テーブルの上に何も置かない」ことを実践中です。 疲れてると「はーもういいや」と散らかったままで寝てしまい、翌朝「あーもう何で昨夜のうちに片づけなかったの私」とイライラしていました。 


どう考えても「片づけりゃいいじゃん」って話なんですけど、色んなことに鈍くなっていると現状に対する不満が先だって、それを改善する方向に頭が向かないのです。そこを頑張って「片づける」ことにチャレンジした結果...。 


まだ変化は感じません(笑)。 2,3日しか経っていないので当然な話です。 とはいえ、


「片付かなくてイライラ」として混沌とした思いを抱えていた状態から一歩脱出しよう! そして片足抜け出して思います。 「気づくこと」の大切さ。 この、小さなひとつひとつが人生の積み重ねに繋がっていくのでしょう。

何処から片付けましょうか?

毎月開催しているセミナーでのアンケート結果で、終活の中でも「遺品整理」「生前整理」に興味のある方がいらっしゃることが判明しました。


簡単なアンケートですので、


・既に亡くなった同居家族の遺品整理
・既に亡くなった別居家族の遺品整理
・自分が亡くなった時を想定した話
・家族が亡くなった時を想定した話


どれに該当するかという具体的な点までは調査しきれていませんが、「遺品整理」をもっと掘り下げていくならば、亡くなった人と自分の関係性の違いでも導き出される答えが違ってくると推察出来ます。 そして、片づける人が持っている価値観でも違いが出てきますね。


「使う人がいないモノを見るのは辛い」と考えるか、「思い出として取っておきたい」ものなのか、同じ家族でも考え方が異なるのです。 ですからもし、自分が亡くなったときのことを想定しての「遺品整理」であれば、ぜひとも「生前整理」に取り組んで頂きたい。


例えばの話ですけど、ボールペンや眼鏡ひとつ取っても、「捨てたい」「残したい」で遺族の意見が分かれることがあるのです。 それを使っていた本人が亡くなったことで、残された家族は既に消耗していることが多いですから、ご本人の意思で処分できるならばそれに越したことはありません。



また、生前整理する場合でも、長く人生を重ねてきた分、沢山の思い出が詰まったものたちに囲まれてらっしゃるでしょう。 ひとつひとつが「物語」を持っているかも知れません。 そうなると・・・、「やろう!」と思っても大変です。


片付けに関しては、断捨離やこんまり式、ミニマリストなど、様々な手法や考え方があります。 どれが良くてどれが悪い、というものではありませんが、まずは自分に合うやり方をじっくり検討してみてはいかがでしょうか。


あした死んでもいい身辺整理
あした死んでもいい身辺整理
興陽館

 ちなみに私は、ごんおばちゃまが提唱する"抜くだけ"方式がしっくりきました。 「あした死んでもいい」というタイトルはギョッとさせられましたが、とてもゆるく取り組めますので、片づけの初めの一歩には良いですね。 ブログもゆるーい優しい文章ですので、読んでて疲れません(^^)。



次はNLPerの片づけ術でも書こうかな。...最近片付いてませんけど(* ̄m ̄)プッ.