未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

和代さんのこと⑤

持ち分を相続することになる人たちへ、和代さんは頭を下げてお願いに行きました。


そして、晴れて家はお祖母さんのものとなりました。 それは和代さんがお祖母さんの傍で生活を支えていくということを意味します。 


結婚したい人がいるなら、この家を出て構わない


お祖母さんはそう言ってくれたそうですが、自分が引き起こしたことではないとはいえ、こんなに揉め事の多い娘を迎えてくれるところなんてあるわけないでしょう? と言葉に出来ない、声に出せない反論をする和代さん。


年齢的に子供を産むことも難しくなり、色々なことを30代後半で諦めた、と言います。


お祖母さんも段々と高齢になり、家で生活することが難しくなった今は施設に居ると言います。 


「傍から見たら、気楽な独身ものでしょう。 けれど、家のゴタゴタで私は自分のことは諦めざるを得なかった。 それはあなたが選んだことだという人には、『じゃあ、もっとベストな選択肢があったというんですか?』と言いたい。 祖母は私がいるから良いです。 でも私は? 寝込んでしまって、祖母の施設に行く日曜日に起きれなかったら? 祖母に心配は掛けられないです。 でも私だっていつでも元気なわけじゃないんです。お正月は祖母が帰って来るので、私はどこにも行けません。 でもそのことが不満なわけではないんですけど、ただ、祖母の求めで親戚たちが集まってくると、その準備は全て私ひとりでしなきゃいけません。 疲れます。 祖母も100歳近いですから、あと何回お正月を迎えられるか分かりません。 祖母の願いを叶えたいと思う反面、『じゃあ、私の願いは誰が叶えてくれるの?』って思うんです。 祖母には私がいるけれど、私が年を取った時には誰もいません。 私が結婚しないで、子供も持たなかったからと言われればそれまでです。 でも、結婚できる状況じゃなかったことも分かって欲しい」


20代の頃から今までの話を一通り話し終えた後、誰にも言えなかった思いがあふれ出したのか、堰を切ったかのように話す和代さん。


20年に渡る色々の出来事が絡み合って、本当はひとつひとつ片づけていけばそこまで苦しくならずに済んだかも知れない事が、区切りをつけるのが難しかったばかりに、和代さんを苦しめる、重く苦しい塊となっていることが分かります。


ただ、一般的な終活も可視化出来る事とそうじゃない事があります。 可視化出来る事は割と取り組みやすいのかなと、これまでの経験で感じていますが、 「思い」「気持ち」がメインのことは、白黒はっきりつけるのはそう簡単にはいかない気がします。


さて、彼女は「これから」に向けて、「これまで」のことをどう片づけていくでしょうか?

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