未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

不安の根っこはどこ?

若い方にはイマイチピンと来ない話になりますが、和代さんの半生を聞いて感じたことのひとつが「自分が高齢となったときの不安」でした。


自分とお祖母さんの関係にあてはめて、「祖母には私がいるから良い」と言う和代さん。
それはつまり「私には誰もいない」ということ。 お母さんの突然の事故死から一連の家族のゴタゴタを片づけていくうち、彼女は「自分のことは後回しにするしかなかった」と言います。


そして、救いを求めて心理学やスピリチュアルのセミナーや学びにのめり込んでいったそうですが、「全部自分が選んだこと」という教えにはとても傷ついたといいます。 そこだけ切り取ってしまうと、コトの真偽が分からないので何とも言えないのですが、彼女の言いたい事は分からないではありません。 何故ならば、私は自死遺族で傷ついてアップアップしていたときに「そういう人生をあなたが選んだ」と言われたことがあるからです。


これね、私が経験として思う事なんですけど、「そういう出来事があった」と、客観視できるようになっていると、「全部自分で選んだこと」と言われても、「あははー、そうなんだー、私ってMなのねぇ。そんな苦しい人生選ばなくても良いのにね。」と笑い飛ばせますし、タフに乗り越えた自分のことが愛しくなってきたりするものですが、まだ自分の中で現在進行形の段階でソレ言われるとすごく辛いです。


「あんたに何が分かるのよーっ!キーッ!」


と言いたくなります。 マジで。 


ですからどうか、指導的な立ち位置にいる方には、「全部自分が選んだこと」という言葉を使う時、今一度、目の前にいるクライアントさんや生徒さんに「今」その言葉が必要か、「今」掛けるべきかどうか、考えて欲しいのです。



和代さんの話に戻しますが、「だから結婚も出来なかった、子供も諦めた」と言う彼女に言いました。


そのときは和代さんの選択が最善だったの。 そのときの和代さんにはね。
でも今でも結婚したいと思ってる? 子供欲しい? 
それはどうして?


すると・・・「今のままだと、誰も私のことを面倒みてくれない。この先不安。」という答えが返ってきました。


ちょっと(いや、かなり)疑問です。
段々と体の動きが鈍くなって、和代さんを頼る事の増えてきたお祖母さんを長い事見て来て、彼女が自分の今後を不安に思う気持ちは無理もありません。


しかし、前回の記事に書いた「不安」と同様、今回の不安もかなり境界が曖昧です。


どんなことが、彼女に「不安」と言わしめているのでしょうか。


・孤独
・金銭的なこと
・健康のこと


他にもあると思いますが「今後」をキーワードに考察すれば、この3つが大きな不安の軸でしょう。 


その不安を解消するには、現行の制度の中で言うなら、「地域包括支援センター」へまずは相談してみることです。 
行政のサービスでは不十分(または受ける事が出来ない)な場合でも、ボランティアが受け皿となって、高齢者の福祉に関する活動を行っている地域もあります。 地域包括支援センターは高齢者をサポートするための総合窓口なので、そういった情報も集約されています。 実際に利用できるのは65歳以上の高齢者やその家族となっていますので、それより若い方の窓口はどこなのか、調べておきます。


とはいえ、そういった情報を集めるためには、やっぱり「自分がどんなことを不安に思っているのか」「どうなれば安心できるのか」という2つの視点で、不安に思っていることを言語化していく必要があります。


じゃないと、「わからないところがわからない」「何を質問したらいいのか分からない」のですから。

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