未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

何で終活しないといけないの?

と思ったことはありませんか?


ちょっとだけ私のことをお話します。 私の親は15年ほど前に突然亡くなりました。 
当時は終活という言葉も世に出ていませんでしたから、父が亡くなって以降は本当に大変でした。


それから10年以上過ぎた今、もし、私の父が終活していたら? と考えたときに、これはもう「タラレバ」の話となりますが、終活してくれていたら随分楽だったろうな、と感じます。 


表には余り言えない問題も、父が亡くなったことで全て明るみに出て、処理しなくてはいけなくなりましたし、もちろん、お金の問題も出てきました。 素人ではどうしても判断のつかないことは弁護士事務所を訪ねて相談しましたが、面識のある先生の事務所を訪ねることが出来たから良かったようなものの・・・、初めて会う弁護士の先生には、きっとどこまで話して良いか戸惑ったに違いありません。


そういった意味においては、終活は残された家族のためにした方が良いこと、となりますが、これだけでは肝心なことが抜け落ちています。 家族のためにすることはとても良いことですし、素晴らしいと思います。 しかし、肝心なのはご本人の気持ちです。


終活は義務ではないと思います。 終活という言葉が世に出て今年で10年。 終活という言葉もすっかり定着し、市民権を得ました。 自分の周りで終活に取り組み始めた人がいる、という方も多いのではないでしょうか? でも、ブームに乗っかってやるものではないと、私は思います。 もちろん、私の体験を照らし合わせれば、やるに越したことはありませんが。


それよりも、自分がいなくなった後にも家族が安心して暮らしていけると、自分も安心だとか、不安や負担を与えないことで、自分も幸せだというように、「自分が終活をすることで、『私』はどう感じるか?」という点に焦点を合わせて欲しいのです。


裏を返せば、自分がこれからも安心して生きていくために、幸せでいるために、自分は何をしたらいいのか? というところに焦点を合わせることで、最後まで「自分らしく生きる」ための方法が見つかるのではないかと考えます。

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