未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

要は、見る角度の違い

最後まで自分らしく、と言っても色々ありますが、分かりやすい例として「葬儀」のケース。


まさに、人生の最後の行事ですから。


自分が生きているうちに自分の葬儀を執り行う「生前葬」もありますが、亡くなってからの葬儀の方が一般的でしょう。 という前提で・・・。


かれこれ15年近く経ちますが、私が父を見送ったときを思い出すと。
唯でさえ自分の親の突然の死という非常事態です。葬儀社の方との打ち合わせ、通夜に来てくれた人への挨拶、戒名のこととか、余りにも大変すぎて、記憶がすっぽり抜け落ちています。


恐らくそういう方も一定数いらっしゃるかな。


これが、「私らしい方法で見送ってね」という意向で、掛けて欲しい曲や連絡して欲しい人、葬儀の規模等々、生前に決められていたならば、きっと家族も大変な中にも安らかな気持ちで送り出せるのではないでしょうか。


そして、2人に1人は掛かると言われている「がん」をはじめ、生きている以上、様々な病気のリスクがありますが、延命についても同様です。


内閣府の調査によると、万一の際、自分自身の延命を希望する人は5%だったのに対し、家族に万一のことがあったとき、延命を希望する人は15%なのだそう。 いずれも少ない数字ではありますが、見方によっては、自分のときと家族のときでは、3倍の意識の差があるということです。


「逝かせてほしい」と願う本人と「生きてて欲しい」と願う家族の意識の差は、本人にとってどう感じられるものでしょうか? 最後まで自分の尊厳を保ちたい人であれば、肉体だけが生きている状態は耐え難いものとなるかも知れません。
このあたりの記述は、

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
中央公論新社

↑こちらの本に詳しく描かれています。


やはり、元気なうちから、最後まで自分らしくあるために、万一のときには延命して欲しいのかして欲しくないのか、家族お互いの意思確認も大切ではないでしょうか。


自分らしく、その人らしく。


掘り下げ始めたらキリがないなぁ~。


でも暫くは、頭の整理のために続けます!

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