未来活動のブログ

終活を違う視点で眺めてみよう。

人生には、壮大な○○設定があった方がいい。

終活を行う前提には、「やっておかないと不安」「家族に負担を掛けたくない」「将来の心配を少なくしたい」という思いがあります。


もちろん、今後の人生をより良いものとするために終活をする場合もありますが、前述した漠然とした不安解消が目的となっているケースが多いような気がします。


インターネットニュースの記事によると、既に終活に掛けた費用の平均額は平均で253万円だとか。



リンク先の記事によると、終活についてのアンケート調査の結果、7割以上の方が終活は必要だと思っている一方で既に終活を行っている人は4割弱にとどまっているという結果なのだそう。 


また、既に終活を実施している層でも、お墓や片付けなどで悩みや迷いが生じているという結果も出ています。



終活という言葉が世に出て今年で10年。 すっかり市民権を得た感がありますが、果たして10年前と同じ意味で使われているのかな? と疑問に感じることも多々あります。 もちろん、言葉の意味は時代の流れと共に変化します。
例えば「ヤバい」という言葉。 


大人世代はこの言葉をよろしくない状況のときに使いますよね。「ヤバい! 遅刻しそう!」とか。 しかし若い人たちは、楽しい・嬉しいときにも「ヤバい」と言うので、話が通じなくなってしまったことが何度かありました(うっ、トシがバレる!)


ですから、10年前の「終活」と、今の「終活」の意味が違ってきていることも充分ありえるわけですよね。  そして、リンク先の記事にもあるように、終活ですべきこと、やろうと思っていることも大体において理解が進んできました。


でも・・・そこには肝心なことが抜け落ちていないかと気になります。


それは、終活をすることで『私』はどうなりたいか、という視点です。 家族の意見ももちろん大事ですし、家族の負担を減らしたいという思いは素敵です。 でもね、肝心の


『私』はどう生きたい? どう逝きたい? 


という点を、まずは考えて欲しい。 お墓の準備や始末、片づけももちろんやっておいた方が良いです。 だけど、それに着手して悩み事が増えてしまったら本末転倒だと思うのです。


それよりもむしろ、自分の最期はどうありたいか、という最終ゴールを決めませんか?


最終ゴールがぼやけてしまうならば、今50歳の方ならば、60歳のとき、70歳のとき、80歳のとき、自分はどういう生活を送りたいのか、中間のゴール設定をしてみましょう。


終わりをきちんと決めておくことで、人はそれに向かって進む力が出るものです。 終活もね、本来そういう意味だったと思います。


死と隔離されて、死を肌で感じられなくなった現代は、死という最終ゴールが見えないものになってしまいました。 それならばもっと近い地点での中間ゴールを沢山決めて、それを次々クリアして進んでいくことで、人生はもっと達成感や幸福感、やりがい、生きがいに包まれたものとなるはずです。 


未来活動では、そのお手伝いをさせて頂きます。


オヤツをもらうというゴールのために、日々飼い主の言葉に耳を傾けます。

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