苦しい話ではなく、希望を遺せ。
後悔よりも教訓を、同情よりも共感を、
苦しい話ではなく、希望を遺せ。— 吉藤オリィ@新著書「サイボーグ時代」1/22発売 (@origamicat)
若きロボット研究者のツイートを引用しました。 病気や怪我で寝たきりとなってしまった人でも彼が開発した分身ロボットを使うことで、会議に参加したり旅行に行けたりするそうで、パッと聞いた限りでは、素晴らしいテクノロジーの進化と受け止めました。
しかし、その奥にあるものは?
1人の人間が自分らしく生きるということや、人が社会とつながることはどういうことなのか? それは自分はどのように役に立てるだろうか? ということを徹底的に考え抜いた結果が、今の彼なのではないかと思いました。
そして個人的にすごく響いたのは、「後悔よりも教訓を」というフレーズ。
私は、自分の辛かった体験を元に「終活はとても大事なこと!」と思うようになりました。 しかし、いざ終活に関わることを始めると、どこか自分の中にも後ろ向きでネガティブに感じる部分があったんでしょう。 うまくいえない違和感を感じるときが増えてきました。 いや、私が伝えたいのはそんなことではない、と。
確かに、父の突然の死とその後10年近くに渡るゴタゴタは決して明るく語れるものではないけれど、逝く側は果たしてそうなることを予想出来たのかといえば、これはとても難しい話。
だけど、誰にでも平等にやってくるその日までに、伝えたいこと、したいこと、を存分にやろうよ! と伝えることは出来る。 それを困難に感じている人には寄り添える場を作りたい、いや作らなきゃと思っています。 そういうことは結局、遺される側に取っても心安らかでいることに繋がるに違いないのです。
死に限らず、病や怪我で不可逆的な状態になってしまっても同じことで、やっぱり「その人らしく生きること」ありきなのではないかと考えます。 私は医療や介護は門外漢なので、現場ではそんなきれいごとは言えないのかも知れませんが、だからこそ。
苦しい話ではなく、希望を遺せ。
そこにひとりの人が「生きている」ことそのものが希望なのです。 誰かは必ず誰かの希望である、と信じます。
仔犬の成長も不可逆的なんですよねー。 この姿は二度と見れないわ。